甘い、甘い金木犀の香り―――
酔わされていたのは自分のほうで―――
『 甘 ク 囁 ク 夜 ニ 』
一緒に帰るはずだった約束をキャンセルし、今朝思い立ったことを行動に移す。
恋人であるあいつは喜んでくれるだろうか?
それとも驚くのだろうか?
そんなわくわくした気持ちのまま、目的を果たすべく作業を進める。
思い描いていた以上にはなかなか集まらなかったけれど。
近づくにつれて香る匂いが強くなるこの花はその存在を知らしめるために香るのだと…聞いたことがある。
花言葉の中には「あなたの気を引く」というのを思い出して一人納得した。
なにより、今の自分にはぴったりな気がして…少しだけ顔が赤くなる。
甘い、甘い匂い―――
大切な思い出を鮮やかに彩る花の香り―――
指定した待ち合わせ場所に行けばすでに樺地はベンチに座って待っていた。
ぼんやりと空を眺めて―――なにを思っているんだか。
今日は生徒会の用事もあって樺地と過ごす時間はいつもより少なかった。
それが余計に悲しくもあり、あいつへの愛しさを募らせた。
ただ…触れてみたくて後から抱きしめる。
「跡部…さん?」
「あーん。俺以外に誰がいるってんだよ」
「もう用事は終えたんですか?」
「終わった。それよりそのまま目潰れ」
「…ウス?」
「絶対に俺がいいって言うまで目を開けるなよ!」
「ウスっ」
全身の力を抜き、楽な姿勢で目を瞑る樺地をみてくすりと笑ってしまった。
こうも素直に言うことを聞かれると悪戯したくなるのに。
ちょっと考えてから今日は膝の上に乗ることにした。
「膝の上、乗るぞ」
体を密着させれば自然に腰に手がまわされた。
どうやら俺がバランスを崩しても大丈夫なように…らしい。
一定のリズムを刻んでいた樺地の脈がいつもよりも早いことに気がついた。
「樺地…鼓動が凄い早いぜ?まだ慣れねーか?」
「ウス…。すいません跡部さん」
もともと人と触れ合うということが苦手だったらし樺地は小さな頃から大きかった。
優しすぎる樺地は相手を気遣うあまりに一定の距離を持つようになってしまったんだ。
それは幼い頃から一緒にいる俺でさえ…。
だからときおりこうやって樺地に密着する。
まずは触られることに慣れて貰いたいから。
「バーカ。謝んなって。少しずつ慣らしてけばいいんだしな」
「………ウス」
まっ、慣れるのは俺だけで十分だけどな。
―――コツン
軽い音を立てながら額同士をくっつければ樺地は少し驚いたようだ。
こういう所が可愛いと思うし、きっと誰一人としてこんな樺地を知らないだろう。
俺だけが知っている事実。
「なぁ覚えてるか?」
「………?」
「ここの公園で、このベンチのすぐ側で俺はお前に告白したんだ」
もう、一年も前のこと。
でも決して色あせることなく鮮明に蘇る記憶。
返事をしようとした樺地の唇を同じもので塞ぎ、軽く啄むようにキスを繰り返す。
「今も気持ちは変わってないぜ。それ以上にもっともっと俺はお前を好きになった」
両の頬に添えていた手を今度は首に回して抱きついて。
自分の心の中に溢れてくる言葉を紡ぐ。
言われなれていない樺地はすぐに赤くなって…。
「ばーか。お前が泣いてどうするんだよ」
去年、樺地にされて驚いたけれど嬉しかったことをそのまましてやる。
ぺろって舌で涙を舐めとって。
これ…けっこうエッチだよなぁなんて思ったのは秘密だ。
「お前だって同じ事やっただろう?」
そんなに驚くことじゃないだろう。
お前が先にやったことだぞ、これは。
驚いたところが見えれ嬉しかったりもする。
あまり表情が変わらないのでこういう瞬間はとても貴重なのだ。
「お前だって同じ事やっただろう?」
「それはそうですけど…」
「ほら、まだ目を開けるなって。目、閉じてろ」
「ウス…」
甘い、甘い匂い―――
俺の思いと共にお前に届け―――
そっと深呼吸して俺だけの儀式を。
まずは口付けて、そして言霊とも言える言葉を紡ぐ。
「これからもずっと、俺はお前のことが好きだ。…愛してる」
もう一度唇を奪ってから隠し持っていたものを降り注ぐ。
ついさっきまで咲いていた花たちを。
「目、開けていいぞ、樺地」
まだ零れ落ちてゆく花たちは順番に樺地の髪の毛に着地して。
やっぱり樺地にはこういう花が一番似合う。
金木犀などの小さくて優しげな花が――――
とくん――――と心が跳ね上がる。
「覚えてないのかもしれないけど…今日のこの時間に告白したんだ。
自宅の金木犀がさ咲き始めててさ、あの日のことを思い出して…やってみたくなったんだ。
思った通り驚いたろ?」
「ウス…。でも跡部さん…ちゃんと覚えてます」
支えられていた体が抱き寄せられて、樺地に唇を盗まれた。
しっかりと腰と肩を抑えられて。
ばーか。お前から俺が逃げるわけないだろう。
「でも跡部さんが覚えててくれて凄く嬉しいです」
「俺から言い出したんだぞ。覚えてるよ!」
忘れる訳がない。
許されぬ恋だと、諦めかけていたのだから。
樺地を失う夢を見て、嫌われてもいいと…いや、いっそう嫌いになって貰えれば諦めもつくと思ってたんだ。
自分が臆病だったから逃げて、逃げて、そしてぐちゃぐちゃになりながら告白した。
あの時ほど俺の心が乱れたことはなかった。
今も、樺地のこと意外では心は乱れない。
「跡部さん…。これ………」
樺地がテニスバックから取り出したのはこの前家に行ったときに作っていたボトルシップだった。
帆船の全体のバランスが綺麗で特に俺が気に入っていたっけ。
「くれるのか?」
「ウス。跡部さんにあげる為に作りましたから」
「ありがとな、樺地」
「ウス!」
嬉しそうに力強く頷く樺地。
ふわりと、甘い匂いがした。
秋の匂いとも言える甘い匂いが。
「こういう記念日とか馬鹿にしてたけど…いいもんだな」
「そう…ですね、跡部さん」
「よし!樺地、今日はお前お泊りな」
「うっ………ウス?」
「どうせ明日は祝日なんだからいいだろ?」
少しだけ困った顔をする樺地。
けれどすぐに微笑むんだ。
その小さな目がとても優しげに俺を見つめて。
同じベットで今日もまた一緒に寝よう―――
いつの日か、甘く囁かれる日を待ち望みながら―――
藍色の空に細長い三日月が横たわっていた―――
甘い、甘い匂いに酔いしれて―――
*** Fin ***