『 言 霊 』

 今日、晴れていれば見えるはずだった天の川―――

 闇色にまぎれる月は今宵―――主役から脇役へと身を引く数少ない日だったはずなのに。
 変わりに窓から見えるのは分厚い鉛色の雲。
 そして小さな音をいくつも奏でる雨だけ。

「今日は七夕だったのにな、なぁ樺地」
「ウス…」

 屋敷の外にある大きな竹が雨に触れ、悲しげに佇んでいた。
 飾るはずだった短冊はそっとテーブルの上に置かれていて。

 「叶えたい」という意気込みではなく「叶える」という断定の意思確認だったのに。

 跡部の願い事、樺地の願い事。
 そして二人の共通の願い事。

「雨じゃ飾っても濡れちまうな…。せっかく書いたのに」
「ですが…こうしてのんびり居られます」

 ふわりと花が咲き誇るように跡部が微笑んだ。
 最愛の人である彼――樺地――に。

「なぁ、樺地。もし俺達が彦星と織姫のようだったらどうする?」
「考えられませんから…。俺の全ては貴方の、跡部さんのものです」
「ばーか。もしもの話だったらだよ。お前ならどうする?」

 蒼い、空のような雄大さを感じさせる瞳は挑戦的な眼差しで樺地を捕らえて離さない。
 自分の前で組まれている両手に指を絡ませながら。

「どんなことをしてでも貴方の側に居ます。
 天の川が二人の逢瀬を邪魔するなら泳いででも逢いに…行きます」

 考えるときの癖だろうか?
 目を伏せて―――そして目線を絡めて淡々とした口調で話すのは。
 そんな時の、樺地の小さな瞳は優しげなものへと変わる。

 一瞬で跡部は樺地に捕らわれる―――

 口数少ない彼が選びに選んで話す言葉は「言霊」のように強力で、同時に跡部をどんなことよりもどきどきさせる。
 分かりにくいと一般的に言われている樺地がこんなにも表情豊かで、そして「言葉」を大切にする奴だなんて。
 ほかの奴らにわざわざ教えてやる義理もないし、樺地を独り占めできるのだからこのままでいて欲しいと思う。

「そんなことをしてまで俺に逢いたいのかよ。あーん?」
「ウス」

 即座に返答する姿は潔くて格好いい。
 こんな些細なやり取りでさえ、二人にしてみればとびりき甘くて重要な時間なのだ。

「ばーか…」

 体をよじり、顎に軽く触れさせるだけのキスを―――
 うっすらと赤くなった樺地は照れながらも触れるだけのキスを送る。
 両のまぶたに、頬に、鼻に、そして唇へと。

   サァァァアアアアアア―――

 屋根や窓や木々に雨粒が当たるたびに小さな音重なって何十層もの音へと変わっていく。
 冬に降る雨はどこか寂しげな印象があるのに―――
 春から夏にかけて降る雨はどこか楽しげな印象を受ける。

「樺地………」
「ウス?」
「俺にとってお前は自分以上に大切な奴だし、愛してるって言い切れる。だけどな…」
「………………?」

 胸が締め付けられる―――
 思っていたことを言葉として表現するのは時として苦痛を伴い―――
 同時に不安な感情にも支配される―――

「一番好きって言ったらお前じゃないんだ…」

 強い瞳が揺れる―――
 愛するがゆえに伝えなければいけない言葉のせいで―――

「跡部さんの言いたいこと、分かります。跡部さんにとって一番好きなのは「テニス」…ですから。
 それはずっと見てきて分かっていますから、だから…辛そうにしないで下さい」

 うっすらと目じりに溜まった透明な雫。

「俺はずっと「好き」も「愛してる」っていうものも同じものだと思ってた。
 ただ違うのは言葉の意味の重さだけで…、たいした差なんて無いって…」

 流れ落ち始めたものを指でぬぐい、唇を這わす。

「言葉の本質を見極めるのは難しいですから…」
「上手くいえないけど全然別物の感情なんだよな、「好き」も「愛してる」も」
「ウス…」

 その言葉の意味を考えずに使われることの多い二つの単語。
 けれど意味に触れ、本質を知れば逆に紡がれなくなるモノ。
 それほどまでに大切なのだ、気持ちを言葉にのせて発する行為は。

「なぁ樺地」
「…ウス?」
「お前のこと、一番好きじゃない俺だけど…いいか?」
「ウス。テニスがあったからこそこうしていられるんですから。
 だからその気持ちを大切にして欲しい…です」
「………かばじぃ」

 甘えた声のままの跡部をしっかり抱きしめる樺地。
 ほんのりと色づいた耳が嬉しさを表していて―――

「もう少し、このままで…いろ」
「ウス」

 また明日からは全国大会へ向けての猛練習が始まるのだ。
 お互いのことすら忘れてしまうほどに。



  闇が溶けた空にはいつしか星たちが姿を見せて――――


  眩く光る天の川を作り出していた――――


  今宵の主役は月ではなく何億光年も離れている過去の光たち――――


  月から降る光はいつもより控えめに地上を照らす――――



  同じ時は二度と戻らないのだから――――


*** Fin ***