初めて見た瞬間、なんて綺麗な人なんだろうと思った。
それぞれのパーツがどれをとっても形よく、目元にある泣き黒子が妙に似合っていて。
本当に、自分と同じ人間なのだろうかということすら考えた。
それくらい、俺自身にとってインパクトが強かったんだと思う。
目を閉じれば浮かぶのは彼の仕草や動作の一つ一つで。
特にプレイ中にボールを射抜く瞳が印象的で瞬きすら忘れて見とれてしまう。
同じテニスプレイヤーとして未完成な自分と、洗練された完成度を持つ彼と一体どれほどの開きがあるのだろうか?
追いつきたくても追いつけないもどかしさがより向上心をかき立て、貪欲になってゆく。
ただ、彼の視界に自分が入る事はなく時間だけが時を正確に刻み―――気が付けば入部して4ヶ月も過ぎていた。
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立秋を過ぎた空は雲一つ無い晴天でぎらぎらとした太陽光を地上に降り注いでいる。
せめてもの救いは涼しさを感じさせる風が吹いていることくらいだろう。
なによりここ数日、35℃以上の夏日が続いていてるせいかほぼ部員の全員がだるそうだ。
蒼と白のストライプ地のタオルで汗を拭っていれば部員全員に集合がかかった。
「これ以上の練習の続行は熱中症を引き起こす可能性があると判断された。
よって今日の練習はこれで終了とする。
各自水分補給と十分な休息はしっかり取っておくように。
1年はいつもの通りコート整備をしてからあがれ、以上解散!!」
「っしたぁ!!!!!!」
コート整備に向かう途中、ふいに何かが目の前を通り過ぎる。
不思議に思い、目を凝らして見れば空色のキャンパスに赤い点がぽつぽつと出来ていた。
それは秋の到来を知らせる赤とんぼで、気持ちよさそうに空中を舞っている。
「そうか、もうそんな季節なんだ…」
見上げた空は蒼く高く。
まるで彼と自分との差を表すかのごとく、なにより、目指す彼の瞳を思わせた。
身に纏っているのは蒼白く燃え上がる炎にも似た雰囲気、瞳に宿るのは孤高の精神。
体の全てであらゆるものを遮断し、拒む姿はどこか痛々しささえ感じ、目を反らすことすらままならない。
――――――心を奪われるとはこういうことなのか。
「なぁ樺地ちゃんと整備しよーぜ。
せっかく早く帰れるんだしさ」
「あぁ長太郎か…」
「なに考え事?」
「そんなとこだ」
「…あんま思い詰めるなよ?
俺で良ければ相談のるしさ、っておい樺地どうしたんだよ!!」
一人で佇む彼の些細な行動が引き金だった。
空を仰ぎながらタオルで顔を拭くのはいつものこと。
しかし、その後に微かにバランスを崩したのだ。
周りが気が付かないほど微かに。
よくよく見れば瞳にいつもの力強さが感じられず心なしか顔色も悪く見えた。
なにもなかった振る舞いでコートから部室に向かう彼―――跡部景吾。
部員数が200人を超える氷帝学園中等部のテニス部に在籍し、1年の時から狭き門である正レギュラーに
入っている先輩だ。
そして―――俺の目標でもある人。
今でこそ2年の副部長を務めているが部長候補に最も近いと言われている。
しかし…だ、足取りはいつもより重そうにしているしなんだかふらふらしてないか?
――――――誰も気が付いてないのか?
「長太郎、悪いこれ頼む」
手にしていたトンボを投げるように手渡し、急いで彼の所へと走る。
今からすることが彼に対して失礼に当たるかもしれない。
でも、なにより大切なのは彼だから、嫌われてもいい。
気のせいであればいい。
ただひたすら自分自身に言い聞かせながら。
「跡部先輩」
無言のまま振り向いて俺は確信した。
雰囲気そのものは変わらないが目がいつもの力強さがない。
もしかしてかなり悪いのかもしれない。
「先輩、すいません失礼します」
有無を言わさずに抱き上げ、周りから死角になる場所へと足を進めた。
自分の右腕に彼の腰を乗せ、左手で背中全体を支えるようにして。
首に回された腕は少し熱を帯びていたが、口からでた言葉は冷たく「下ろせ」だけだった。
「跡部先輩もう少しだけ我慢して下さい。
今木陰に連れて行きますから…」
「………分かった。
そこに着いたら理由言えよ」
「ウス」
テニスコートから少し歩いた場所にあるのは創立前からそびえ立つ樹齢100年を越す大木。
この木を中心に憩いの場として設けられ、昼休みになるとここで食事をする人も多く、俺自身もときおり長太郎と
二人でテニスや勉強の話をしながら食べるときもあるのだが今は夏休み。
人気のない今、誰かに気が付かれることなく体を休めることが出来る…と思って連れて来てはみたものの、
本人を目の前に何を言えばいいのか分からなくなる。
木々の枝が重なりながら木陰を作り先ほどいた場所よりもだいぶ涼しい。
なかでも一番涼しい所へ移動し、先輩を下ろす。
怒気をはらんだ表情にたじろぎながらも覚悟を決める。
遅かれ早かれこんなことをしたんだ、怒られるのは避けられないことだし。
「急にこんなことをしてすいませんでした。
ただ…先輩の様態が悪いようでしたので差し出がましいとは思ったのですがこちらに運ばせて頂きました。
少しの時間でもいいですからここで横になって休んでて下さい。
何か飲み物とか持って来ますので…」
「自分の体調は自分がよく分かってる、余計なことはするな!!」
冷ややかに言い切り足を動かした刹那、彼の体が崩れ落ちた。
まるで人形のように―――。
「跡部先輩!!」
地面にぶつかる直前でどうにか体を捕まえることに成功したまでは良かった。
この状態はどうすればいいのだろう…。
衝撃を避けるためとはいえ抱きしめ、さっきよりも肌を密着させているのだから。
否応なしに心臓の鼓動速度が速まり、体が熱を帯び始める。
――――――本当に跡部先輩綺麗だよなぁ。
頭を過ぎった考えに驚きながらもそっと芝生が生えている地面に横たえた。
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「んっ………」
「大丈夫ですか、跡部先輩」
「俺は………倒れた…のか?」
「ウス」
「放っておいてもよかったのに」
ぽつりと呟かれた言葉が痛く胸に突き刺さる。
「なっ、なんてこと言うんですか!
大事な大会前じゃないですか、先輩が抜けた穴は誰にも勤まらないんですよ!!
自分のこともっと大切にして下さい!!」
我を忘れて怒鳴ったあと、目を大きく見開いた先輩がいて、自分の浅はかさを痛感した。
「生意気なこといってすいません。
でも…本当に自分のことなんですから悲しいことは言わないで下さい」
――――――怒られる。
言い終えた直後、身構え覚悟を決めれば「くっ」という声の後盛大に跡部先輩が笑い出した。
「くっ、くくくくくっ!
あ〜はっはっはっはっは!!」
「?????????????」
「くくくくくっ、駄目だ腹痛ぇー」
「跡部先輩?」
「笑い終わるまでまっ、待て、くくくくくっ」
「…ウス」
なぜ笑っているのか理由が分からないまま10分ほど時間が過ぎた。
風が吹くたびに枝が擦れあい音を出す。
同時に跡部先輩の髪も揺れて。
「あ〜笑った笑った。
悪かったな急に笑い出して」
「いえ…」
「でかい図体しているのにさ、おろおろと焦っている姿が妙に可愛かったんだよお前。
確か………樺地だったよな?今年からテニスを始めてもう準レギュラー入りがほぼ確定している」
「ウ、ウス、準レギュラーにはまだ遠いですが…」
俺の名前を知っていた。
ただ、それだけのことが嬉しくて胸のあたりが暖かくなった。
「正レギュラーも時間の問題だよ、お前なら。
ところでどれくらい倒れていたか分かるか?」
「だいたい数分程度です。
それより体の方はどうですか?
アクエリアスありますが、飲めますか?」
「あぁ、貰う」
「たぶん…熱疲労からくる軽い貧血だと思います。」
「なぁ………なんで分かったんだ、俺の体調が悪いってこと」
「本当にちょっとした事なんですが、普段より体の切れが無くて…。
それに誰も気が付かなかったみたいですがさっき倒れそうになっていましたから。
あとは…目です」
「目?」
「はい、瞳に宿る力強さが無かったので…。
急にあんなことをして本当にすいませんでした」
「いや、いいさ、体調が悪いのは本当のことだし、逆に助けられたしな、サンキュ。
でもよく気が付いたな、一番近くにいた正レギュラーの奴らにも気が付かれなかったのに」
「いつも…いつも見ていましたから先輩のこと」
「………そうか」
「もう少し休んでで下さい。
着替えるにしてもまだ部室は混んでますから。
あと自宅に連絡しますか?」
「そうだな、車を呼ぶかって…あぁ、今休暇中だったなそういえば…」
「でしたら俺が自宅まで送ります。
荷物持つの大変でしょうし…」
「いいのか?」
「ウス」
この日をきっかけに、跡部先輩と行動をともにするようになった。
帰り際、「俺の側にいろ」と言ってくれたから―――。
*** Fin ***